心のワーク№26「恐れは隠さないでおこう」

アトリエさとわ

2010年02月20日 08:00

お知らせ
エッセンスさんではこの週末楽しげなイベントがありますよ!
詳細はこちら

タロット勉強会 3/2(火)午後1時~6時 
小アルカナ中心の勉強会 ¥2500
た~くさんある小アルカナ。
みっちり学んで小アルカナのメッセージを
直感と共に受取っていきましょう。もちろん、
大アルカナも使ってサンプルリーディングもします。

今朝は久しぶりに太陽キラキラですね。
よかったね、エッセンスのイベント参加のみなさん♪
さとわから見える海もキラキラ。


では 今日の心のワーク

               

「あなたに持てる感情は、ただ『恐れ』と『愛』だけです。
恐れは、否定することから作られたので、本物ではありません。」
A Course in Miracles






「恐れ」が湧いてきたとき。我慢しないで、隠さないで、浸らないで、
それを感じている自分を責めないで、ただ手放していこう。
それはただ単に 本当のあなたのものではないし
幻想の「恐れ」は、本当は存在さえしないのだから。
               


アメリカ人の大学教授へレンさんが60年代に書きとった
日本ではまだ知る人ぞ知る『A Course In Miracles』
という本に出会い、その本を学び実践してきた
私の解釈と体験から書く「心のワーク」。

今日は、幻想であるけれど、私たちが捕らわれてしまう(選んでしまう)
「恐れの感情」について。
エゴに基づく「恐れ」は、怒り・悲しみ・不安など・・・
様々な「感情」で私たちを怖がらせ、嫌な気分にさせます。

私は催眠療法を長年やっていて、
「頭でわかっていても」先に進めないとき、
足止めになっているのが、それぞれが手放せないでいる、
「感情」にあると痛感します。

さらに、恐れの感情を持っていると、
たいてい、そんな自分を責めています。

よく「こんなことで怒らないでおこうと我慢しています」とか
「不安にならないように、あまり考えないようにしています」と
いう言葉を聞きます。
けれど、我慢しても、見ないでおこうとしても、
その怒りも不安も、恐れも、
「ある」けれど、我慢しよう、
「ある」けれど、見ないでおこう・・・とするので、
「ある」と思っているし、「ある」状態で我慢して見ないで
結局は、放置することになります。

けれど、怒りも不安も幻想なので、「ない」のです。
だって、本来のあなたのものではないからね。
本来のあなたのものではないものは幻想、
そして幻想は幻想、それはないのです。そしてそれは
「責められる悪ではなくて訂正すべき単なるカン違い」(ACIM)。

私が強い感情を感じるとき。
私はたいてい「不安」という感情なのですが、
それを感じ始めると、たちまち恐れという感情が駆け巡り、
頭の中にはエゴの言葉が次々浮かんできます。
自分を責める言葉だったり、未来への不安だったり。

では、怒りや悲しみ、不安がぐぐ~と湧いてくるとき。
それを、どう訂正したらいいのでしょう?

我慢せずに、見ないでおこうとせずに、
むしろその感情を見てみましょう。
本来の自分のものではないと、確認するために。
確認して、赦しのプロである本当のあなた
(the Holy Spirit・聖霊)に手渡すために。
エゴを見てみましょう。 
それは怖いことではありません。

以下コースより、所々略してあります。

「あなたは自分の錯覚を自分でしっかり見なければなりません。
それを隠したままにしないことです。幻想が隠されていると、
(外の世界の)物事はそれに基づいているように見えてしまいます。
そんな幻想が隠されている間は
愛に満ちた心も隠されているのです。
あなたが思いつくごまかしも、策略も、心を癒すことはできません。
苦しみを聖霊に見えないように隠さずに、喜んで聖霊に打ち明けなさい。」
A Course in Miracles 


               

では 私がやっている実際の対処法です。
これが今日ご紹介するワーク。
先週の「幻想はなくて愛だけがある」を基本に
さらにステップごとに説明。

1.恐れの感情が湧いていたら、あいまいにしたり隠さずに、
「手放すために聖霊(本当の自分)と共に見る」と決める。

2.「手放すために見ている」のを自覚しながら、感情を感じ、解放し、
ピークが過ぎるのを待ちます。
解放するのに、私はよくエゴの声を紙に書きます。
「こうなったらどうしよう」「ああ、こんな自分が嫌だ」とか、
その時感じることを、書く。
書くと(出すと)感情のピークは下がっていきますので
ピークが下がるのを待ちます。

さて。待っているときの過ごし方がちょっと(かなり?)大切。
エゴと一緒に見ているのか、聖霊と一緒に見ているのか、
再確認しましょう。。


エゴと一緒だと「こんなことで怒ってる私なんて」
「メソメソしている私なんて」と罪責感がもれなく付いてきますよね。

では愛と一緒だと、どうでしょう?

聖霊と過ごせば・・その感情がどんなに強くても、
本当のあなた=聖霊の視点でみれば、
「ああ、のは
私がエゴを選んでいるからなのだな。それを認めて、
聖霊に引き渡すために今、聖霊と一緒に見ているのだな」と
思いながら、見ることができます。

その時私はコースのこの言葉を思い出します。

「永遠に正しい心にある聖霊に あなたの心の傷をすべてさらけ出し
あなたを癒してもらいなさい。
あなたにとって怖いと思うことを見つけるために、
どんなわずかな痛みも隠さずに、心の中を探しましょう。
あなたが自分を傷つけるために持ち続けていた
取るに足りないわずかな思いも、聖霊はすべて癒し、
洗い清めて、神にとって大切な思いに戻してくれるのです。」
A Course in Miracles


心の中を探しましょう。自分を傷つけるために、
あなたはどんな言葉を持ち続けていますか?

3.紙に書いた文をみて宣言。赦し・委ねて・感謝。
「これは本当の私のものではありません。
この思いは私があると思っているにすぎない幻想からきていて、
本当は存在すらしていません。
わたしは聖霊に手渡します、委ねます。委ねました。
聖霊は確実に引き受けてくれると知っています、ありがとう。」
このとき、途中で「この思いの根源を癒してください」とか
「幻想の世界はない、愛だけがある」などと言っています。
もちろん、あなたなりの言葉でいいのですよ。
「言葉が正しくないと効果がないかも」は、エゴの言葉。
聖霊に呼びかけていれば、
必要であれば様々な方法で訂正してもらえます。

さて、こんなふうに手放しても、また同じ感情がやってきたとき。
「ああ、全然変わっていない」「また後戻りしてしまった」
「前進していない」とエゴの言葉を聞いて、
カン違いしないでくださいね。ここでちゃんと、
立ち止まるといいですよ。

それは「過去の在庫が追いついてきただけ」(パーサの言葉)で、
「永遠だけがあるので過去はない」(ACIM)。
後戻りはありえないのです。
また感情が出てきた、ってことは癒すチャンスです
私もはじめはよく後戻りしている、と感じていました。
でもそれは、後戻りも先に進むもなく、
ただ本来のあるべき状態を思い出すだけなのです。

「あなたは永遠に恩恵のもとにある」
「見ることは恩恵だけをもたらす」
A Course in Miracles


見てみようね、聖霊(本当のあなた)と共にみれば、
恩恵だけがもたらされるのだから。



←小さなグリーンの
クモちゃんがいます。

では幸せな週末を。




関連記事